根拠もなく考えもない意見

相対主義に安住してください

やれやれ。
元記事に対して、「お前の意見は根拠も考えも無い」とコメントを寄せられてしまいました。

実は元記事は、私が見ていた他のWeblogの記事と、そこに寄せられたコメントに対して書いたもので、その文脈で(つまり私しか知らない文脈で)読むと、それなりに考えはあるんですよね。
当然、他人様に向かって私しか知らない文脈で読め!というわけにもいかないので、ひとまず批判は甘んじて受けましょう。

ついでに、私の考えをば少々披瀝いたしましょう。
以下のとおり整理したのですが、ここから見ると、元の文章は、自分の直感したところをそのまま書いていて、えらく曖昧な主張だと思いました。反省しつつ書きます。

確かに「グリーンピースなんて、奇麗事を言ったところで石油メジャーの代理人じゃん」という命題そのものには、相対的関係性はありません。

さて、では私は何を直感したのでしょうか?

環境保護については、価値があることは確かだと私は思います。
環境保護運動に携わる組織にも、当然それなりの意義・価値があると思います。
たぶん、「価値がある」ことにまるごと反対という人はいますまい。そういう意味では、絶対的価値を持つもの、と言えなくもない。

ただ、ややこしいのは、同等の価値があるものが他にいくらもあるということで、その意味では絶対ではないということでしょうか。相対主義の考え方をここで導入するわけですが、このとき、世間の相対主義に甘えがちな人たちが陥りやすい罠が準備されます。
「グリーンピースは、原発には反対しているけど、化石燃料には反対しない。それは石油メジャーからお金をもらっているからだ」というような情報を持ち出して、「環境保護運動すべてが所詮金次第」ということに落ち着かせてしまう、というような。
私は、こうした現象と心事を、「いろいろな価値を、多量の情報によって相対化してしまう甘え」なのではないか、と思ったわけです。グリーンピースの主張や運動内容以外に、財務についてまで情報が得られる情報過多な状況と、不完全なかたちで導入された相対主義が、堕落した、怠惰な思考を生み出してはいないか、ということです。

つまり、絶対的だろうが相対的だろうが「価値があるもの」を、全て情報の海に投げ込んで、もともと価値すらない(というか、彼らの世界にはおそらく「価値」という概念もない)ように扱う人たちを、私はあざけったのでした(マトリックス的、という言い回しはそういう意図です)。

相対主義大いに結構です。環境保護問題で言えば、私は環境保護運動家たちの絶対主義的で断定的で狭量なやり方は大嫌いです。ビヨルン・ロンボルグのように、経済的価値・人類の一般的な福利厚生の価値との相対的な関係で施策を考えるべき、という主張のほうが信用できます。

ただ、大量の情報を援用して、「価値」という概念すらも情報の中に流し込んでしまうような人って多いと思うのですが、それはいかがなものですかね、ということは言いたいわけです。


さて。以上で私が元記事で言いたかったことの整理は終わりなのですが、最後に「コメントを寄せてくれた『相対主義大好き』さんのやり方は、相対主義的ですか?」と聞いておきましょうかね。
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by izagon | 2004-09-23 14:50 | 沈思黙考


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