マジックの楽しみ方

マジック、奇術というのは、驚くべき奇跡を見て楽しむもので
あって、タネを見抜くために浅ましい努力をするべきでは
ありません。

カードをさばくマジシャンの鮮やかな手並み、ボールを扱う
幻惑的な腕の動き、不思議な照明と音楽、美しくあでやかな
アシスタント、そうした全てが織りなす劇的な空間に吸い込まれる
ことで、私たちは退屈な日常の中で決して目にすることの無い、
数々の奇跡を目にすることができるのです。
タネがどうだのああだの考えていては、日常の世界から
奇跡を眺めるようなもので、つまらないことこの上無いという
ものです。

今夕、テレビで放送されていた番組で、和田アキ子とその他
出演者が延々タネを見抜くこうとしながらテーブルマジックを
見るという、非常に愚かなことをしていました。
本当に残念でなりません。素晴らしいアイデアと技術を持っている
マジシャンの、素晴らしい技術を、彼女らの愚かな振る舞い、
言動が台無しにしてしまっていました。

適切な量の懐疑心は、演じられるマジックへの高い集中力に
つながるので、これは健全ですし、マジックを楽しむ上で必要な
ものです。
しかし、やれ「こっちのカードはどうだ」「そっちにあるんじゃないのか」
「前にタネを聞いたことがある」などと言い募るのは、マジックを
見る上でやってはいけないことだと思います。

こういう態度でマジックを見る人は、多かれ少なかれ、どこにも
いるものですが、これまでテレビでそういう態度が容認される
ことはありませんでした。タレントたちは非常にお行儀よくマジックを
鑑賞していたものです(たとえば、NHKで放送していた『世界の
マジックショー』、あれは素晴らしい番組でした)。
これが今のような流れになったのには、一つは例の「マスク
マジシャン」とかいうマジシャンのテレビ番組のせいでしょう。

彼(と、その番組)はマジック界にダメージを与えてしまいました。
マジックのタネを明かしたことは問題ではありません
(大きな書店やマジック専門店に行けば、いくらでもタネを
知ることはできるのです)。
問題はむしろ、「マジックを見るとき、タネが何なのか考えながら
見る」習慣を、多くの人に植え付けてしまったことです。

マジックを見るときは、もっと素直な気持ちで、驚くべき奇跡を
楽しむべきだと思います。これは私からのお願いです。


さて、この記事が「読書日記」カテゴリに入っているのは間違い
ではありません。
上記の「マジック」に対する考察のほとんどは、

 『奇術探偵曾我佳城』(泡坂妻夫著)

という短編小説集に書かれていることの受け売りなのです。
泡坂氏の本は大変けれん味が利いていて面白いです。
近年の作品は文芸色が強まっていますが、初期の推理短編は
どれもはずれがありません。お勧めです。
[PR]
by izagon | 2004-04-05 22:29 | 読書日記


<< 今日もまた 腹立ちまぎれにお昼寝 >>