日本語の陳腐化がもたらす変化

最近は物分かりのいい大人や国語学者が多くて、日常に用いられる
言葉の異動を「乱れ」と呼ばず「変化」と呼んだり、「言語として生きて
いる証拠」と肯定的に評価されています。

しかし、
「激しく同意」とか
「禿げしく同意」とか
「〜ますた」とか
「xxの母でございます」とか、
2ちゃんねるや各種掲示板、オンラインゲーム上のチャット、あるいは
遡ってパソコン通信を発祥とする、様々な言い回しや語彙がすさまじい
勢いで生まれては陳腐化していくのをみると、これはそんなノンキな
話ではないのではないかと思うのです。

言葉が、変化しながらうつりかわってきたことは間違いありません。
多くの使用者がいて、社会や技術の変化に対応していることを見れば、
それは言語として当然の動態だと言えるでしょう。
しかし、地理的な波及が無いこと、世代間の流通が行われないこと、
さらに「記録」の不在(新語がほとんど記録・整理されないままに消えて
いく。辞典の制作が行われている2ちゃんねるの取り組みは希有です)。
このようなかたちで言葉がどんどん変化していくという事態は、
日本語の歴史の中でもきわめて大きく、類を見ない速さの変化なの
ではないでしょうか?

この結果起きることを、私の近視眼で予想してみます。

言語レベルでの階級分化が起きると思われます。近年、労働経済の
研究の中で、日本社会が経済・社会的に階級分化しつつあるという
指摘がされていますが、言語のレベルでも同じことが起きるのでは
ないでしょうか。
もちろん、上流と下流、という単純な分化ではなく、もう少し複雑なの
だろうとは思います。経済・社会的な階級と、世代の2つの要素の
組み合わせで生じる小集団が、日本語のサブグループを作り上げて
いくのではないかと考えます。


極端な例を挙げてみましょう。

たとえば、ほとんど世代間の対話を念頭に置いていないような、
団塊の世代より上の経営者層。ナベツネや、(政治家だけど)中曽根
康弘なんかがこれですね。石原慎太郎はさすがに作家だけあって
彼らとは一線を画していると思いますが、それでも世代間対話なんぞ
念頭には無さそうです。彼らの使う日本語があります。これは、彼らが
老齢にあることを考えるともっとも最初に衰えるグループですが、
一方でもっとも現実的なチカラのある言葉でもあります。
また、活字として残され、広い世代に読まれる言葉でもあります。

あるいは、経済用語、経営用語とIT用語、そしてへんちくりんな敬語を
使う新世代の経営者たち(ヒルズ族、とかいうんですかね)、彼らが
使う日本語があります。この群の好例は、言うまでもなく堀江君でしょう。
あの人は、対話する相手に対して、「この男はきわめて貧しい教養しか
持ち合わせていない」と思わせてしまう、特殊な言語的才能を持っていると
思います。世代間の継承を(受け継ぐ側から)拒絶しているという意味で、
彼らはきわめて非生産的と言えるでしょう。

さらには、2ちゃんねる語を使う若者たち、というのも考えられます。
テレビで若者たちが語る言葉を見ていると、変に硬い言い回しをしたり、
文語的な表現を会話で使う例を目にすることがあります。
彼らはそうした言い回しを、おそらくインターネット上のメディアで目にし、
使うことを学んでいるのではないかと思います。見ていると他の語彙や
言い回しとの釣り合いが取れておらず、非常に不自然なのです。
彼らが、上の世代や、ネットを使わない世代や社会の人々と対話をする
ためには、会社の新人研修で言語的なトレーニングを受けなければ
ならないようです。
もっとも柔軟でありながら、もっとも(世代間で)流通せず、記録されない
言葉を使う彼らの日本語は、もっとも不安定な立場に置かれています。
社会・経済的な転落と言語的な転落が相互に影響しあって、若者たちを
きわめて暗い地位に落として行くことになるのではないかと、暗い予想を
してしまいます。


各階級・世代の中ではその階級や世代を代表するそれぞれの日本語
(とその動態)が完成する、その一方で、階級間・世代間・社会集団間の
コミュニケーションは、「会社で教わる言葉遣い」、あるいは「バイト語」
のような、日本語のごくごく小さなサブグループによって行われるように
なると予想します。

これは、(私なりの価値判断ですが)不幸なことです。
社会・経済的な階級と同様に、言語の過剰な分化は、社会における
個々の人間の才能や能力、努力の効率的な使用を妨げることになる
と思うからです。

では、対策は?
また別の機会に考えてみます。
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by izagon | 2005-05-05 13:03 | 沈思黙考


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