どうにも納得できませんでしたね


【教科書採択】 教育権の所在はどこに?


考えているうちに長くなってしまいました。

まず、ex-keita17さんの例示が、話の筋道としておかしいのが気になります。

「教科書採択について、以前は採択過程で教師が関わっていました」とし、
その「以前」の頃のほうが(自主性を認められている)教師はやる気があったはず、
としています。
ですが一方で、ex-keita17さんの高校時代の先生は、「教科書はあまり使わず
自作プリントを毎週作成していた」とあります。ex-keita17さんの先生は、自分たちの
仲間が選んだ教科書を使わなかったわけです。
この先生の例は、教科書の採択過程とは何の関係も無いと言えると思います。
別の言い方をすれば、この先生にとって「誰がどんな過程で採択しても、関係が
無かった」と考えるのが妥当ではないでしょうか?

次に、ex-keita17さんは、学力低下、教育の質の低下の原因を、公権力の
教科書採択への介入という教育権の制限によって教師のモラールが低下して
いることに求めていますが、はたしてそうでしょうか?
この推定はあまり説得力が無いように思います。もちろん要因の一つには
数えられるでしょうが、それ以外にも「指導すべき内容が減らされてきたこと」
などの教育行政上の要因も考えられますし、他の社会的な要因も影響して
いると考えるべきです。採択過程ひとつ変わっただけで教師のモラールが
下がり、教育の質が下がる、というような単純な話ではないです。
少し舌足らずな説だと思いました。

さらに、
「図式」として提示されているコレ、
http://pds.exblog.jp/pds/1/200507/29/01/b0052601_15163259.gif
変です。
26条にただ「教育の自由」というキャプションだけ付けられています。
26条の2項は、「教育を受けさせる義務」についての条文になっています。

参考としてあげられている
http://www.h5.dion.ne.jp/~hpray/kyouikumondai/hourei-mondai/index-houreimondai.htm
こちらを見る限り、26条2項の国民の義務の規定は、国民各人の能力が限定的なのを
鑑みて、国への社会権の要求として解釈される、ということですね。
これは「教育の自由」とひとことでまとめられるような筋合いのものではありません。
上記の「図式」でいえば、「国家」から「子供」「教師」に伸びている破線は、26条2項の
規定をあらわしていると考えるのが妥当で、他の線と同様に、実線にするべきでは
ないでしょうか。

また、この「参考」とex-keita17さんの補足の主張を見比べると、ex-keita17さんは
憲法論をしているように見せて、微妙に自身の政治的主張を織り込んでいることが
見て取れます。
「参考」のページを見るかぎり、「国家教育権説」=「公安的」などと決めつけるのは
変です。法学者たちはそんな主張はしていません。国家教育権説、国民教育権説の
いずれも極端として退けているというではないですか。
「国民教育権説の発想の下の方が弾力的な教育ができるのではないか」
という主張は、最高裁判例や一般的な法解釈の議論からは外れているようですね。

話の筋の点、法解釈の点、どちらもちょっと変だと思わないではおれません。まあ、
私が憲法学を理解できていないせいかも知れませんが。


続いて、ex-keita17さんの見解について、細かい事実の面で私が変だと思う点を
あげてみたいと思います。
おおもとのニュース、東京都の教育委員会の教科書採択のニュースで報じられて
いる件についてです。
この決定のしかたをex-keita17さんは一方的な公権力の行使である、と
決めつけています。しかし、教科用図書選定審議会のメンバー20人を見ると、
学校関係者7人、教育委員会関係者7人、学識経験者(保護者代表1人含む)
6人、という構成です。
...これだけ「学校関係者」「保護者代表」がいるのに、一方的とはこれいかに?
と思います。十分、フェアな体制だと思います。ex-keita17さんの言う、
以前の採択プロセスとはどんなものだったのでしょうか?

最後にもう一つ。
扶桑社の『新しい歴史教科書』、市販本を見ると、ネットや図書館、史料館などで
自分たちで調べてみよう、という指導のページがたくさん含まれています。
市販本には、教科書と教育の指針となっている、学習指導要領が付けられていますが、
これを見ると、「目標」の4点目に「様々な資料を活用して歴史的事象を多面的・
多角的に考察し公正に判断するとともに適切に表現する能力と態度を育てる」と
あります。
決して、学習指導要領は、教科書の内容を押しつけようとはしていないのです。

どうも、ex-keita17さんは、扶桑社の教科書が採択された事に対して、政治的な
感想を持ち、それを憲法学的な色を付けて発表したのではないかと思えてきました。


さて。
長くなりましたが、私としてはすっきりしました。よーく読んで、考えてみて、
かなり分かってきました。あーすっきりした。
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by izagon | 2005-08-12 00:40 | 沈思黙考


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