今夜、僕の部屋で

今夜、僕の部屋で、僕はいつも通り自分の孤独と向き合うでしょう。

昨日、彼女(といってもまだ恋人じゃない)に、僕の子供時代の話を
しました。毎日毎日、習い事ばかりだったこと。そんな中で、一緒に
遊ぶ友達がいないことに慣れたこと。中学、高校、大学と進んでいく
なかでも、特に友達がいない状況に苦痛を感じていなかったこと。
そして今になって、友達が少ないことが非常につらいと思っていることも
話しました。
彼女は逆に、小学校の頃から仲のいい友達と今でも付き合いがあるし、
友達も多くて、いろいろ頼られる人で、僕にとって、とてもまぶしい人です。


彼女には言わなかったけれど、僕は自分自身の、この友達の少なさ、
人付き合いの希薄さは、ほとんど致命的な人間的欠陥だと思っています。
僕は友達として、あるいは恋人として、さらには夫として、父としては、
大きな欠陥を抱えた人間だと思うのです。仕事仲間や、趣味の仲間として
なら、僕のこの欠陥も耐えられる範囲のものでしょう。むしろ、淡々とした
付き合いを好む僕は、都合が良くて好ましく感じられるかもしれない。
しかし、友、夫、父としては、この欠陥は致命的です。
だから、僕は彼女に振られても、悲しみはするでしょうが、彼女を
恨んだりはしません。素直に彼女の幸せを祈るでしょう。

正直に言って、僕は自分が家庭的な幸せというものから既に見放されている
と思うときがあります。

ただ、そうした僕ですが、自分のことをそれほど不幸だとは思っていません
(残念だなあ、とは思いますが)。習い事漬けにした母のことを恨んだりも
しません(今になって「早く嫁をもらえ」とか言われると、呆れてしまいますが)。

僕は、今生きている人々の営為である社会や経済、文化や政治を見て
いるだけで楽しむことが出来ます。既に死んだ人が書き残したもの、
作り上げた文物を見て、愉しみを見いだすことができます。
そうした人類の歴史に、少しでも、何らかの貢献を残すことができるよう、
地味に努力する人生というのも、孤独はいかんともしがたいとはいえ、
それほど捨てたものじゃないと思います。


もし今後、僕がその努力に関わらず、一人の良き友、一人の愛する人を
得られない人生になったとしても、僕は心静かに生きていきたいと
思います。
ただ孤独でささやかな僕の営みに、わずかでも祝福と喜びがあってくれたら、
と願うばかりです。
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by izagon | 2004-08-22 19:24 | 沈思黙考


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