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図書館が作家の生活を圧迫する?

最近の図書館は、利用者を確保するため、新刊本を入れるそうです。
そのため、新刊本の販売数が減り、書店がつぶれ、作家も生活できないから
本を書けなくなります。そうして、図書文化・出版文化は衰えようとしています・・・

という主張がいろいろな作家(小説家や、漫画家)からなされているようで、
ここ数日でそういうニュースや主張を散見しました。

(たとえば、これ)
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kbys_ysm/dabun26.html


対策として、
-図書館の貸し出し有料化
-一定期間の新刊本の貸し出し制限
-図書館価格の設定
などのアイデアが出ています。

作家が図書館のせいで生活できなくなる?
そんなわけは無いと思うのですが。

上記の主張では、「図書館によって収入が奪われる」という点が述べられて
いますが、「図書館によって支出が削減できている」という側面を無視して
います。作家は全ての資料を自分で入手しているのでしょうか?
作家が今持っている「霊感」「創作能力」は、自分で購入した書籍によってのみ
手にしたのでしょうか?
そんなことはないでしょう。無料で利用できる図書館で得たものが少なくない
はずです。図書館が彼らの創作にどれだけ寄与しているか、考慮が
足りないといわざるを得ません。

また、上記のような「図書館によって収入が奪われる」という主張の多くは、
「実際のところどれくらい作家の収入を奪っているのか」という点が不分明です。

たとえば、
「数千部単位の売上の作家がいるとして、図書館が何冊の本を買い、
その本がどれくらいの期間、どれくらい回転するのか」
が分かれば、その作家の収入にどれだけ影響があったか推測ができると
思うのですが、そうした推計は提出されていません。

上に挙げたWebページには、
「読書部数は微増しているが、販売部数は減少。貸し出し数は増えている」
というグラフが提示されています。
一瞬、「これは作家にはかわいそうだなあ」と思わせる統計ですが、
これだけではそうとは言い切れません。統計のソースを見ていないので
定かではないですが、「読書部数」の定義がポイントです。よく売れた本を
みんなが読めばこの「読書部数」は増えるのではないでしょうか?
そうだとすれば、「数千部ほどの読者を持つ作家」氏の収入にはなんら
関係は無い、といえないでしょうか?

逆の見方をして、ひらたく言えば、「そもそも数千人ほどの読者しかいない
作家の本を、どれだけの図書館が買うのか?その本を、どれだけの人が
借りて読むのか?」ということです。
多く見積もっても、1割程度しか影響は無いのではないかと思いますが、
どうでしょうか。その1割の損失にしたところで、その作家にとっての
広告効果を加味すると、さらに割り引かれると思います。


作家の(よく分からない)収入を担保するために、図書館に変な制限を加える
ほうが、文化全体に与える打撃は大きいと考えるほうが適切だと思います。

作家の皆さんには、
「著作権」とは、「著作者の保護」のみでなく、「人類が生み出した叡智を、
適切に再利用し、さらなる叡智の生産に役立てる」ための仕組みでもあること、
これを忘れないで欲しいと思います。
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by izagon | 2004-03-31 18:47 | 沈思黙考

『21世紀の精神異常者』

キング・クリムゾンの曲なんですが、原題は
"21st Century Schizoid Man"なんですよね。
『21世紀の精神分裂病者』でないのはなぜなんでしょうか。

タイトルの邦訳のいかんに関わらず、よい曲です。
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by izagon | 2004-03-31 17:03 | 日記

気を取り直して『テクノロジーマネジメントの考え方・すすめ方』

統計データの処理のいい加減さに怒り狂ってしまったのですが、
単位のためには避けて通るわけにもいかないので、再び手に
取りました。

見るべきところ、学べるところもありました。
ひとまず統計処理のいい加減さは忘れて、役に立つところを
自分で読み取るよう努力したいと思います。
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by izagon | 2004-03-31 13:52 | 勉強日誌

スポーツを殺す大人たち

テコンドーの女子日本代表が、オリンピックに出られないかもしれない
状況です。国内のテコンドー競技をとりまとめる組織が二つに分裂している
ためだとか。

一方、現在、小学生の野球組織は、4つ(リトル、ボーイズ、ヤング、ブロンコ)
あるそうで、リーグが違うと公式戦は行われないそうですし、ドジャースの
野茂投手が開催した大会でも、リーグが違うチーム同士は試合ができなかった
そうです。

どこまで日本のスポーツ関係者は愚かなのでしょうか。
自分たちの事情でくだらない諍いをすることで、自分たちの足場をどんどん
掘り崩していることになぜ気づかないのでしょうか。

「自身がどんなに頑張っても、組織のせいでオリンピックに出られない競技」
に、本気で取り組もうと思う若い人はいないでしょう。

「リーグの違いのせいで対戦できない」なんて・・・
もう言葉もありません。

彼らには、日本サッカー協会や、Jリーグがなぜここ10年でこれほど発展
できたのか、ちょっと考えて欲しいです。

いや、サッカーと比較してしまうと、マスメディアの影響力や、サッカーが
世界的にメジャーな競技である、という要素で見えなくなることも多いでしょう
から、基本に立ち返って、スポーツの喜びとか、楽しみとか、そういう原点から
考えなおしたほうがいいかもしれません。

本当に、日本のスポーツ界、ちゃんとしてくれ!と強く願います。
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by izagon | 2004-03-31 12:22 | 沈思黙考

日本のプロ野球報道における監督偏重

日本のプロ野球報道って、プレーヤーよりも監督に
注目しているのは何故でしょう?
これは、プロ野球の歴史において常態なのでしょうか?

実は、これは日本のプロ野球ファンの高齢化と、一流
プレーヤーのアメリカ流出によって起きた現象なのでは
なかろうか、と思うのです。

まず、
今は野球はあまりしていないが、少年期に野球に情熱を
燃やした中年以降の男性は、プレーヤーよりも同世代であり、
また同じ「管理職」である監督に関心を持って野球を見るの
ではないか、という推測が一つ。

 (※これを仮に「プロ野球報道の藤沢周平的陳腐化」と
 名づけたいと思います)

次に、
実際に野球をしている若い世代(少年~高校生・大学生)
は、当然プレーヤーに注目して野球を見ると思います。
しかし、一番見たいプレーヤーはアメリカに行っているので、
日本のプロ野球への関心は薄れる、という推測ができます。

結果、プロ野球報道を担うテレビ番組は、監督偏重に
なっている、ということなのではないでしょうか。

以上の推測が妥当かどうかは定かではありません。


ここでもう一度、「監督偏重」という事象そのものについて
考えてますが、まずその異常さは批判されるべきだと思います。

たとえば、今年のプレシーズン、多くのテレビ局がロッテの
バレンタイン監督をゲストに呼びました。しかし、ロッテの
選手では、黒木投手と小林雅英投手くらいのものでした。
しかも、黒木の場合は「復活」というテーマでの扱いですし、
小林にいたっては「ロッテの絶対的なストッパー」というより、
「日本代表の投手」という扱いでした。アテネ五輪がどうした、
長嶋監督がどうだった、というような話ばかり・・・
こんなにプレーヤーをないがしろにしていいのでしょうか?

プロ野球というのは管理職の教科書、読み物ではありません。
私は、選手たちの躍動があってこそ成り立つスペクタクルであり、
サスペンスであり、ドラマである、と思うのです。
報道は、もっときちんとプレーヤーのプレーに注目するスタンスを
もって欲しい。そう思ってやみません。



だから『NANDA?!』もっとガンバレ!テロップなどの編集で中身を
薄めるな!と思うわけですが、それについてはまた別の機会に。
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by izagon | 2004-03-31 11:14 | 沈思黙考

今日の朝食とお弁当

朝食
-ご飯
-納豆(卵入り)
-ヨーグルト
-ほうれん草とベーコンのバター炒め(お弁当の残り)

お弁当
-ご飯
-ほうれん草とベーコンのバター炒め
-フィッシュフライ(冷凍食品)

自炊が習慣化しつつあります。
考えないでもできるようになってきました。
いい傾向です。
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by izagon | 2004-03-31 10:49 | 自炊日記

単身者向けお小遣い帳

アイデアがだいぶ整理されてきたので、とりあえず
α版を作成しました。

まずαテストとして、自分で1週間運用してみることに
します。
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by izagon | 2004-03-30 18:09 | 沈思黙考

今日のお仕事

久しぶりにまとまった量の仕事をしました。

以前書いたプログラムの修正、という、あまり面白くない作業でしたが、
それでも、物事の構造を明らかにし、操作する、プログラミングの仕事は
やはり興をそそるものです。
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by izagon | 2004-03-30 18:08 | 日記

自戒

それにつけても我が胸の内の醜さよ。


2年ほど前まで参加していた社会人バスケサークルのホーム
ページを見てみたら、なんだかずいぶん楽しそうでした。

参加しなくなったのは、あまりにレベルが低かったからでした。
「レベル」という表現をしましたが、技術的にどうこう、という
よりも、試合になれば「勝ちたい」というくせに、練習はいい加減、
こいう気持ちの甘さが許せなかった、というべきかもしれません。


ホームページのその楽しそうな様子を見て、
(俺がプレーヤーに復帰して、どこぞのチームに入り、お前らの
チームなんぞ一ひねりにしてくれるわ)などと思ってしまいました。


こんなことだから友達が少ないんだよねえ。

それに、貴重な人生の時間と体力を、そんなしょーもない理由で
浪費してはいけない。

もっと淡々と生きていきたいなあと思います。
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by izagon | 2004-03-30 13:32 | 日記

デジタルカメラの進化の方向

どんどん画素数が増していくデジタルカメラですが、これは
正しい方向への進化なのでしょうか?

メーカー側としては、銀塩カメラの表現力に近づけることが
目標なのかもしれませんが、日常的な場面でデジカメを
使いたいユーザーは、そんなことを望んでいないような気も
します。

デジカメで撮った写真は、PCに取り込んで、Webに公開する、
という使い方が多いのではないかと思うのです。
その用途であれば、100万画素、せいぜい200万画素で
十分だと私なぞは思うわけです。

今、デジカメの性能として注目すべきは、色の再現性で
あったり、起動時間であったり、光の補正であったり、
シャッタースピードの調整であったり、画像編集機能で
あったりするのではないでしょうか?
(※技術的な知識・写真の知識が無いので、間違ったことを
書いている可能性があります)

画素数を増やすことで、上記のような機能上の課題が解決
されるというのであれば、私の指摘には意味はありません。

ただ、もしそうであるならば、今度はデジカメを紹介する側
(雑誌記事や、店頭広告等)が「画素数」に偏重していることを
批判したいと思います。
デジカメという面白ツールを、画素数という一要素だけで
順列を付けるようなことがあってはいけないと思います。


「デジカメの進化の方向が正しいか?」という最初の論点に
戻しますが、上記の通り多少疑問はあるものの、今のところ
やむをえないのかな、という気もしています。
ですが、もっといろいろな特徴のあるカメラを作って欲しい、
とは切に願うものであります。
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by izagon | 2004-03-30 12:52 | 沈思黙考