さきほど、たまたま靖国参拝について論じているウェブサイトを見つけ、
ざっと眺めました。東京裁判とサンフランシスコ条約と、その他従来の 政府の公式見解について細かく触れた議論をしているのですが、 なんだか意味が薄いような気がしました。 19世紀末から現在までの、100年以上にわたる、日本と中国(清、 中華民国、中華人民共和国)の歴史について、一つの視点を提供する ものではありますが、法的な解釈や政府の公式見解だけでは判断基準 としては不十分だと思うからです。 そもそも、東京裁判の法的判断を尊重するという立場に立つなら、 まずもって東京裁判の法的な妥当性について検討をするべきです。 「平和に対する罪(侵略戦争遂行の共同謀議)」は事後法ですし、 また政治・外交的な判断について法的に断罪することが 出来るとしたら、法律が政治・外交の全てを規定することになります。 それは実現不可能です。 未来のあらゆる状況に照らして対応可能な法律を作るか、あらゆる 制約を超越して、つねに適法な行政を執り行えなければならない からです。そんな全知全能の人間はあり得ません。 「非戦闘員の殺戮」という罪について言えば、アメリカによる 原爆投下が裁かれていない(裁く機会が無かった)時点で、 法の下の平等という理念が尊重されていないということが言えます。 私は、東京裁判は裁判として法的に妥当ではなかったと考えています。 しかし、その結果をもとに講和条約が結ばれたことや、その後の 歴史が積み上げられてきたことまで否定しようとは思いません。 「法的な妥当性」という理念以外の、多くの政治的な判断、多くの 犠牲、多くの人々の努力があって、今の時代、今の社会があるのです。 法律的な事実の積み上げと、解釈によって、首相の靖国参拝を 判断しても、大した意味があるとは思えません。一つの議論では あるとは思いますが。
by izagon
| 2005-05-29 16:11
| 沈思黙考
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