政教分離の原理から難ぜられるべき共同墓地論
宗教者の方にコメントをいただいて恐縮です。 私が共同墓地論が不毛だと思う理由は、2つあります。第一に、上記のとおり宗教的な意味の「形式」「儀式」を軽視しているというところです。 第二には、時間・時代の経過を無視しているというところです。 簡単な例を作りましょうか。たとえば、私の家は曹洞宗ですが、私が宗派がえをして、「私の信仰にあわないから」といって先祖の墓を別の寺・墓地に移そうとしたらどうでしょう?個人的な信仰の問題とはいえ、あまり褒められたことではないと思います。私などはあまり敬虔な人間ではありませんが、知人がそんなことをしたら(乱暴なことをするものだな)と思うでしょう。兄が勝手にそんなことをしようとしたら、私は止めます。 さて、それでは、60年前に靖国神社にまつられた霊を、現代の遺族の都合で「さあ合祀はやめました」「うちの家でまつります」としたらどうでしょう?私などは「はて?」と思ってしまいます。龍之介さんは「本人」「遺族」の信仰のみを考慮すべき材料としておられますが、このことにはもうちょっと広い関係者がいます。つまり、祭られている方とともに戦った方であり、祭られている方のおかげで生きている我々です。 戦友に手を合わせたい老人は、合祀から外れた人々の家、彼らのおさめられた寺を巡らなければならないのでしょうか。戦争という悲惨で過酷な運命と戦った先人たちに感謝したい若者は、どこに行けばいいのでしょうか? 共同墓地という宗教性を漂白され、時間性を消し去られた施設に、そうした思いを受け止める力は無いと、私などは思うのです。
by izagon
| 2004-09-08 10:59
| 沈思黙考
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